佐々木剛
新潟県出身
1971年、「仮面ライダー」において、一文字隼人/仮面ライダー2号役で出演。
現在は、舞台を中心に俳優活動を展開し、活躍している。
このトークショー企画でも待望の声が多かった佐々木剛さん、満を持して登場です。
2号ファンのつめかけた会場で、当時から現在に至るまでの様々なお話を聞かせて下さいました。
★ これまで、色々なライダーの方に登場頂いたんですけど、毎回必ず同じ質問をしております。
どういう経緯で仮面ライダーのお仕事が来て、お受けになったのでしょうか。
佐々木 僕のところに話が来たのは、藤岡君が怪我したからなんですよね。
でも、その時には、ちょっとスケジュールがいっぱいだったもので...。
東京のNHKで朝の番組を月曜から木曜に撮影して、「お荷物小荷物」を撮りに金土日と大阪に
行ってたんですよ。
それで、ここへライダーが飛び込んできた。
★ そんなにハードスケジュールでライダーが撮れたんですね!
佐々木 ええ、だから当初はお断りしたんです。
今になってみてみれば、本当に断らなくてよかったな、
良い番組をやらせてもらった、と思ってますけども...。
僕は「柔道一直線」でデビューさせてもらったんで、
事務所がね、東映さんに対する義理返しをしなければいかんだろう、と。
当時はあまりライダーの視聴率がよくなかったものですから、
まぁ1クール繋げば、それで義理が果たせる、と。
でも、藤岡君が養成所で一緒だったものですから、彼が初めて取った主役をね、
怪我したからって後から取るのも嫌で、
やるにしても、もし藤岡君が復帰してきたら番組を返していいんですね、という条件で入ったんです。
やる以上は視聴率のも多少気になりましたけど、最高視聴率でバトンタッチできてよかったです。
★ 当時、「お荷物小荷物」という番組の冒頭で、突然「変身!」とポーズをしたのは覚えてますか?
佐々木 あれは、主役の中山さんを犯しに行くシーンで、階段を上ってる途中なんですよ。
変身ポーズ、今も平気でやりますけども、よその番組でやるっていうのは本当に恥ずかしかったですね。
★ 後にも先にもあれだけだったんじゃないかと思います。まったく関係ない番組でやったって言うのは。
全然違うホームドラマの脚本に「変身ポーズ」と入れる程、当時の仮面ライダー人気は凄かったんですね。
佐々木 そうですね、歌番組の司会もさせて貰ってたんですけど、よく仮面ライダーショーを組むんですよ。
仮面ライダーショーを組んだだけで、視聴率が3%上がってました。それだけ凄かったってことですよね。
★ ここからは、現在に至るまでのお話を伺います。ライダーの後、ご自宅が火事になったんですよね。
佐々木 自宅じゃないですけどね、東京で借りてたアパートが。
それで怪我をしてしまったものですから、11年かな、再起するまでにかかりました。
その間、ホームレスが長かったものですから、家庭も崩壊しましたし...、
生きているのが不思議だって言われましたけども、何故生かされたのか、というね。
まだまだ掴み得ないですけども...、生かされた理由があるんであります。
だから、この世にサヨナラするまでには、何故生かされたのか、それを掴み得て、サヨナラしたいですね。
★ その後、心機一転、11年のブランクを経ての復帰ですね。復帰後は声の出演をされていたと伺いました。
佐々木 11年、本当にもう自暴自棄になって、生きてるのが面倒だといった生き方をしてましたんで...。
でも、友達って本当に嬉しいですね。待っててくれたんですよ、石橋正次が。
もう、その世界を離れてるわけですから、僕の口から芝居の話が出るまでは、向こうも話ができない。
僕も、時々遊びに行っても、芝居に関する話を全くしなかったんですけれども。
たまたまその頃、竿屋をやってまして、まだ雪が残ってるっていうんで、遠くの方に行ってたんです。
その途中で、ものすごく素晴らしい景色に出会ったんですよ。それで、呆然として車止めて。
まだ雪が残っていましたし、靄もかかってて、小さい滝がたくさん流れてるんですよ。
それを見た時に、ふっ、とね、これを背景に芝居を出来たら素晴らしいだろうな、と思った。
その想いを抱えたまんま、東京に戻ってきて、石橋の家に遊びに行ったんです。
それで、飲んだ時に、なんとなく、僕の口から芝居の話が出て。
その時に石橋が、「今度芝居やるんだけど、出ないか」、って。
それがなかったら復帰もしてないだろうし、正直言って復帰してなかったら、まあ生きていないでしょうね。
★ ...まるで映画みたいなお話ですね。
波乱万丈な佐々木さんの人生。この後はどうなるのか?
vol.2をお楽しみに!!







